2015年02月28日
2015年02月28日
お寺の防火 それもまた仏事
お寺の防火 それもまた仏事
消防局が実施する防火管理講習を受講してきました。
寺院や神社も、多くの人が利用する建物であることから「防火対象物」に含まれ、
「防火管理者」を置くことになっています。
他の事業所の方々と一緒に二日間受講しました。
最後には「効果測定」というテストもありました。(ほとんど不合格者は出ないそうですが)
寺院の火災は私が直接知る事例だけでも数件あります。
木造部分が多いですから、あっという間に全焼してしまいます。
本山である東本願寺は、過去4回火災に遭っており、「火出し本願寺」などと揶揄されたこともありました。
当明行寺も、1847(弘化4)年の善光寺地震の際に類焼の被害を受け、
また、明治初期にも火災に遭っています。
「まさか、自分は当事者にならないだろう」という思いがどうしてもあるのですが、
他人事ではないのです。
そう思うと、お寺に防火管理は必須科目とすら思えます。
一方、仏教の教えと火災・災害ということでいうと、
人生において事故や災害は避けられないもの、という受け止めがあります。
諸行無常…不変であるものはない、すべては変化する、無常ではない、とされます。
火事を防ぐことと、受け止めること。
矛盾するといったら大げさですが、どうとらえたらよいものでしょうか。
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消防局が実施する防火管理講習を受講してきました。
寺院や神社も、多くの人が利用する建物であることから「防火対象物」に含まれ、
「防火管理者」を置くことになっています。
他の事業所の方々と一緒に二日間受講しました。
最後には「効果測定」というテストもありました。(ほとんど不合格者は出ないそうですが)
寺院の火災は私が直接知る事例だけでも数件あります。
木造部分が多いですから、あっという間に全焼してしまいます。
本山である東本願寺は、過去4回火災に遭っており、「火出し本願寺」などと揶揄されたこともありました。
当明行寺も、1847(弘化4)年の善光寺地震の際に類焼の被害を受け、
また、明治初期にも火災に遭っています。
「まさか、自分は当事者にならないだろう」という思いがどうしてもあるのですが、
他人事ではないのです。
そう思うと、お寺に防火管理は必須科目とすら思えます。
一方、仏教の教えと火災・災害ということでいうと、
人生において事故や災害は避けられないもの、という受け止めがあります。
諸行無常…不変であるものはない、すべては変化する、無常ではない、とされます。
火事を防ぐことと、受け止めること。
矛盾するといったら大げさですが、どうとらえたらよいものでしょうか。
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2015年02月28日
「境内にやって来る猫たち」に寄せて その48
「境内にやって来る猫たち」に寄せて その48
例年のごとく、猫の声が頻繁に聞こえる季節になりました。
真ん中がメス猫、まわりがオス猫。
皆さん真剣な目つきをしています。
時に大ゲンカが始まります。
それでも、とことんまで相手を負かすところまではしないようで、
「加減」が効いているようです。
何事も、ほどほど、ですね。
例年のごとく、猫の声が頻繁に聞こえる季節になりました。
真ん中がメス猫、まわりがオス猫。
皆さん真剣な目つきをしています。
時に大ゲンカが始まります。
それでも、とことんまで相手を負かすところまではしないようで、
「加減」が効いているようです。
何事も、ほどほど、ですね。
2015年02月01日
2015年02月01日
宗教には無理強いということは禁物
宗教には無理強いということは禁物
「宗教には無理強いということは禁物」 『コーラン』2章257節
参考:『イスラームのこころ真宗のこころ』狐野利久 法蔵館
※以下、イスラム教に関する事柄は上記を参考に引用しています。
「イスラム国」による人質事件は、仏教徒である私にとって、
「あれは自分の信仰する宗教とは違うから」と言ってはいられないものを感じます。
人質の安否は勿論ですが、宗教に携わる者として不安になることがあります。
一つは「イスラム教がこわい宗教」だと思われることです。
イスラム過激派によるテロ行為や戦闘はひどいものですが、
それがそのままイスラム教のイメージになってしまうのは悲しいことです。
歴史的にみても、イスラム教はもともと穏健な宗教で、
10世紀から13世紀に西洋諸国が武力により他国を制圧したのに対し、
イスラム教は支配地においても、ジズヤ(人頭税)を払えば、信仰や財産など保障していたようです。
「コーランか剣か」(イスラム教に改宗するか、死ぬか)という無理強いは無かったようで、
よほど極端な指導者の場合にまれにあったのではないか、ということのようです。
また、女性のスカーフ着用にみられるように生活様式にも厳格なきまりがあるイメージがありますが、
生活様式の「ゆるい」地域の信徒の方がより主体的に信仰しているという話を、イスラム専門家の講演で聞いたことがあります。
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「宗教には無理強いということは禁物」 『コーラン』2章257節
参考:『イスラームのこころ真宗のこころ』狐野利久 法蔵館
※以下、イスラム教に関する事柄は上記を参考に引用しています。
「イスラム国」による人質事件は、仏教徒である私にとって、
「あれは自分の信仰する宗教とは違うから」と言ってはいられないものを感じます。
人質の安否は勿論ですが、宗教に携わる者として不安になることがあります。
一つは「イスラム教がこわい宗教」だと思われることです。
イスラム過激派によるテロ行為や戦闘はひどいものですが、
それがそのままイスラム教のイメージになってしまうのは悲しいことです。
歴史的にみても、イスラム教はもともと穏健な宗教で、
10世紀から13世紀に西洋諸国が武力により他国を制圧したのに対し、
イスラム教は支配地においても、ジズヤ(人頭税)を払えば、信仰や財産など保障していたようです。
「コーランか剣か」(イスラム教に改宗するか、死ぬか)という無理強いは無かったようで、
よほど極端な指導者の場合にまれにあったのではないか、ということのようです。
また、女性のスカーフ着用にみられるように生活様式にも厳格なきまりがあるイメージがありますが、
生活様式の「ゆるい」地域の信徒の方がより主体的に信仰しているという話を、イスラム専門家の講演で聞いたことがあります。
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2015年02月01日
「境内にやって来る猫たち」に寄せて その47
「境内にやって来る猫たち」に寄せて その47
境内にある木の上に「何かいるな…」と思うと猫だった、ということがよくあります。
登るのは平気だけれども、下りるのは苦手と聞きます。
そういえば、この猫たちも当初は下りるときに、

あちらの枝に行ったり、こちらの枝に行ったりを繰り返していました。
木の上からの眺めはどう映るのでしょうか。
境内にある木の上に「何かいるな…」と思うと猫だった、ということがよくあります。
登るのは平気だけれども、下りるのは苦手と聞きます。
そういえば、この猫たちも当初は下りるときに、
あちらの枝に行ったり、こちらの枝に行ったりを繰り返していました。
木の上からの眺めはどう映るのでしょうか。