2007年12月31日

20年目


20年目

新しい年を迎えました。
本年もよろしくお願いします。

ちょうど平成になって20年目の節目となりましたが、
私にとっては、ようやく「20年」という時間の長さを、
実感としてとらえられる年齢になりました。

年号の変わり目の日は大学1回生の冬休み中。
朝ゆっくり起き出したら、すでにテレビがあわただしそうな雰囲気でことを伝えていて、
寝ている間に時代の変わり目が始まってしまったためか、
その後結構長らく「平成になったのだけれども、まだ実感がわかない」ままでした。

それからもう20年になるとは、月並みかもしれませんが、やはり、あっという間で、まだついこの間、
の感覚です。

当時、私は二十歳前でしたが、
例えば、小渕さんが平成と書かれた紙を掲げて発表された映像が、
今の二十歳前の人が、まだ生まれる前のこととは、
理屈としてはわかっても、自分の時間感覚の中では、なかなか実感できないものです。

よく年輩の方が昔のことを語られるときに、随分以前のことなのに、最近のことのように話をされます。
こちらはどうしても、それは、いったいいつの話? 十何年、いや何十年も前のことでしょう、
と言いいたくなってしまうのですが、
私も最近になって、過去を語る人にとっては「まだついこの間」の感覚なんだろうなあ、
といくらかは共感できるようになりました。

時間の前後、それこそ実際の「間隔」ではなくて、
経験してきた中身の持つ「感覚」が、私たちの時間感覚なのでしょう。
人それぞれの時間感覚が、その人の過去そのものといってもいいくらいだと思います。

「人は生まれてきたときは、誰でも いのち として生まれてくる。
 いのち同士だからケンカしてもすぐ仲直りできる。
 けれども成長するにつれ、いのちにいろんなものの重ね着をしていく」

というお話をある先生から教わりました。

モノや情報。ただでさえ多い重ね着するものが、一層増えて、その変化も早いのが最近なのでしょう。

私の世代にとって軽く受け流しがちな出来事でも、
違う世代の人、やはり年輩の方に多いのですが、
とても悲しそうに話していたり、ひどく憤っていたりすることがあります。
重ね着に気付けなければ、単に「世代の違い」「感覚の違い」で終わってしまうところですが、
言葉の出どころがどこにあるのだろうと想像するとき、
本当はもっと共感できるところもあるのだろうと思えます。

「20年の長さ」が語れるようになって感じることの一つです。
  

Posted by 明行寺住職 at 17:20Comments(0)法話

2007年12月31日

掲示板の言葉

広い世の中にうかぶ 小舟のような店 すこしかたむいてきたが 沈むまでは 妻とふたりで漕ぐ
榎本栄一詩集『群生海』より  

Posted by 明行寺住職 at 17:17Comments(0)法話

2007年12月06日

目覚められた日

目覚められた日
12月8日は、お釈迦様が「さとり」を得られた日です。

夢から覚めた時に、
「なんだあ、夢だったのかあ」とガッカリする時と、「ああ、夢で良かった」とホッとする時と、
どちらが多いですか?

だんだんと、後者のホッとすることの方が多くなってきたように思います。
大人になって仕事を抱えて、時にはヒヤリとする経験もしますと、何かの折りに思い出すのでしょうかね。
私は、年に一度くらい、期限に追われることの多かった前職のときの夢を見て、
妙にリアルで、夢とわかるまでしばらく時間がかかることがあります。

それでも、今の、現実の生活が続いてほしいと思えば、そういう夢を見るのかもしれないですね。
つまり、いやなことは起きてほしくない、今がまあまあ満足と。
しんどい時は、かえって、こういう夢は見ないですから。

逆に今の生活が変わってほしいと思えば、それを夢に見て、
覚めてから、ガッカリということでもあるのか、と思います。

でも、どちらもやはり「夢」です。
「こうなりたい」「こうならないでほしい」という私の思い・都合を夢に見ます。

目が覚めたのに、しばらくそれがわからない時、あれ、イヤいやですね。
でも、ちゃんとその後覚めているのか?

ちょっと大げさですが、いつも、きちんと目が覚めているとは、言い難い。
自分の思い・都合でものを見ている、のがわたしたちだと、
それを教えてくれるのが、仏教:目覚めた人の教えです。
特別な考えを持ちなさい、というのではなくて、ありのままを見てください、と
いろんな言葉で、わたしたちに目が覚ませるようにと、語ってくださったのが、お釈迦さま。

さとりを得る、とは特別な考えをものにする のではなくて、ありのままに目が覚めること。
12月8日はそんな、お釈迦さまご自身も、目覚められた日。
成道会(じょうどうえ)といいます。
  

Posted by 明行寺住職 at 22:49Comments(0)法話

2007年12月05日

掲示板の言葉

人の間違いや欠点を きびしく見る眼で 自分が見えたらいいですね

野田風雪さんの言葉です。

「仏教談話会」を主宰し、語りあいの場を大切にされながら、
各地で講演などをなさっている方です。  

Posted by 明行寺住職 at 20:00Comments(0)法話