2010年12月31日

掲示板の言葉 2011年1月

掲示板の言葉  2011年1月
 最終の息する時まで
 生きんかな 生きたしと
 人は思うべきなり
    
                窪田空穂
  

Posted by 明行寺住職 at 10:45Comments(0)法話

2010年12月31日

つながり の中で自分をたしかめる

つながり の中で自分をたしかめる

年があらたまりました。
本年もよろしくお願いします。

どんな「つながり」を作っていけるか?
「つながり」は、自分を見失わないための「いのちづな」でもある。

            …このところ感じていることです。

「孤族」という言葉を見つけました。
昨年暮れから新聞でルポの連載記事のタイトルとして使われています。
いわゆる孤独死や、職を失って社会から孤立してしまった人を追う内容です。
昨年のキーワードの一つである「無縁社会」という言葉が広まって、
以来、あちこちで、この話題が上がることが増えました。

「人ごとではない」と言う人に多く出会いましたが、
何も中高年世代にとっての、雇用や人生の終末に関わる問題だけではなく、
若年者にとっての就労の問題ももちろんのこと、
誰にとっても、どんな年代の人にも、言うならば子どもたちにとっても、
等しく、もっと深い本質を抱えた問題だと私は思います。

ある先生から、
  「無縁社会」という「つながり」の無い社会の中で、
  「自分がどういう者なのか」
   ということを感じ取ることができなくなっている。
   大切なことを見失っている。
…というお話をうかがいました。
問題の本質はそこにあるのではないでしょうか。

例えば近所の人との付き合いの中で、人付き合いのコツを教わる、
そして自分はまだまだ未熟と知る。
あるいは、友人との間で、自分のクセを知らされる。
人とのトラブルを通して自分の勘違いや思い上がりを知る。
そういったことが、どんどん少なくなってきているのです。
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Posted by 明行寺住職 at 10:34Comments(0)法話