2009年02月28日

掲示板の言葉

掲示板の言葉
自分の思いを 離れないと ひとの話は 聞きとれません 
                         小谷信千代
  

Posted by 明行寺住職 at 20:56Comments(0)法話

2009年02月27日

「おくりびと」と、寺での葬儀に 想い出したこと

「おくりびと」と、寺での葬儀に 想い出したこと

映画「おくりびと」を観てきました。
本木雅弘さん・山﨑努さん、どちらの役にも感じたことは、
納棺という仕事を通して、亡くなった人に向き合い、亡くなった人から何かを教えられる、ということです。
その姿が、まわりの家族(遺族)をも、亡き人に向き合わせるのだと思います。
亡き人は、もう声は出しませんが、その身をもって伝えてくれることを、
納棺の仕事を通して皆で確かめ合っている、という感じです。

私も、日頃、葬儀に関わる立場ですが、あらてめて観客として映画を観て感じたことは、
ときには「死」にふれることがないと自分の思いだけで突き進んでしまう、ということ。
急がなくてもよいことを急いでいたり、今すべきことを後回しにしていたり…、
いずれも、人も自分もいつか死ぬということを忘れているから、そうしてしまう…ものだと思うのです。
いつもいつも、死を意識していたら、それではまたやっていけませんから時々でよいのだと思いますが、
それが、葬儀や法事をはじめとする仏事の時なのでしょう。

さて、先日、久々に寺を会場にしての葬儀が行われました。
葬祭センターで行われることがほとんどになった現在では、もう年に数回あるかどうかです。
「珍しいこと」になってしまいました。

寺での葬儀は、本堂に祭壇をこしらえますが、もともとご本尊はじめお飾りがあるのですから、
蜀台と紙花、そこに遺影やお骨を安置する簡素なものです。
けれどもこれが真宗の伝統的な形式で、別院などで営まれる葬儀も同様です。
簡素でありながら、厳粛な雰囲気をかもしだします。
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Posted by 明行寺住職 at 22:04Comments(0)法話