2025年03月31日
「境内にやって来る猫たち」に寄せて その168
「境内にやって来る猫たち」に寄せて その168
前回も登場の茶色の猫。
だんだんと慣れてきたのか、
近づいても逃げなくなりました。
境内は安全なのか、
それとも、別の猫とも出会うので緊張感もあるのか。
これからもやって来てくれそうです。


前回も登場の茶色の猫。
だんだんと慣れてきたのか、
近づいても逃げなくなりました。
境内は安全なのか、
それとも、別の猫とも出会うので緊張感もあるのか。
これからもやって来てくれそうです。


2025年03月31日
時代の空気
時代の空気
当時の雰囲気
昭和100年、戦後80年、地下鉄サリン事件から30年…。
今年は、そんな節目にあたる年。
僕にとっては、ようやく30年という時間の感覚が実感できるようになったところですが、
大きな時間の単位に思うことは、
「当時の雰囲気」「時代の空気」とは何だろうか、ということです。
後輩に、当時の僕の判断や振る舞いの理由を説明するときに、
「当時はそれが普通だった」と言いたいときがありますが、
実体が無いだけに、「確かにあったのだけれども、再現できない」という、
もどかしさを覚えます。
当時の「普通」が通じないと、わかってもらえない訳で、
ちょっと不満が残るのです。
それが理由か
けれども自分にきびしい言い方をすれば、
過去の自分の振る舞いを正当化したいときに用いるのが、
「当時の空気」なのです。
「バブル世代」に属する僕ですが、
僕の20歳前後の世の中は…、
大学受験は浪人することが珍しくなかったこと。(僕は現役進学でした)
就職活動で企業訪問をすると、テレホンカードや交通費がもらえたこと。
まだまだ日本経済は発展するという雰囲気があったこと。
そんな時代だったのだから「気楽でよかったね」と言われても困ってしまうのです。
現在の20歳前後の人に語っても、実感し難いものでしょう。
それでも、「ちゃんとやる人はやっていた」のであって、
やはり世の中の雰囲気のせいにばかりしていられない、
とは自分でも思ってはいます。
流されていた
つい最近のことで言えば、
新型コロナウイルスの感染拡大が起きた5年前のこと。
当時の雰囲気を、早くも忘れかけています。
感染者への異状なまでの中傷、「自粛警察」、マスクを洗って使ってこと…。
当時の自分の振る舞いを思い起こすと、どうであったか。
感染の不安と、社会活動の停滞の中で、
とにかく自分にかかる被害を少なくしよう、
少しでも有利になるようにしよう、
ということが、行動の基準でした。
結局は「自分はうまく世の中を渡っていこう」という思いが行動原理で、
自分で判断しているようで流されていたのです。
「時代の空気」の「正体」は、とらえ難いのですが、
問題は、何が自分の判断のよりどころなのか、ということでしょう。
【流転】(るてん)とは、人間の迷いの有り様です。
他人と争い、従属させ、主体性を失い…と、
グルグル回る有り様を言います。
流されずに生きていくことなど、できそうもありませんが、
流されている、と、どこまでも、自分の有り様を指摘し続けるのが仏教の教えなのかと思います。
当時の雰囲気
昭和100年、戦後80年、地下鉄サリン事件から30年…。
今年は、そんな節目にあたる年。
僕にとっては、ようやく30年という時間の感覚が実感できるようになったところですが、
大きな時間の単位に思うことは、
「当時の雰囲気」「時代の空気」とは何だろうか、ということです。
後輩に、当時の僕の判断や振る舞いの理由を説明するときに、
「当時はそれが普通だった」と言いたいときがありますが、
実体が無いだけに、「確かにあったのだけれども、再現できない」という、
もどかしさを覚えます。
当時の「普通」が通じないと、わかってもらえない訳で、
ちょっと不満が残るのです。
それが理由か
けれども自分にきびしい言い方をすれば、
過去の自分の振る舞いを正当化したいときに用いるのが、
「当時の空気」なのです。
「バブル世代」に属する僕ですが、
僕の20歳前後の世の中は…、
大学受験は浪人することが珍しくなかったこと。(僕は現役進学でした)
就職活動で企業訪問をすると、テレホンカードや交通費がもらえたこと。
まだまだ日本経済は発展するという雰囲気があったこと。
そんな時代だったのだから「気楽でよかったね」と言われても困ってしまうのです。
現在の20歳前後の人に語っても、実感し難いものでしょう。
それでも、「ちゃんとやる人はやっていた」のであって、
やはり世の中の雰囲気のせいにばかりしていられない、
とは自分でも思ってはいます。
流されていた
つい最近のことで言えば、
新型コロナウイルスの感染拡大が起きた5年前のこと。
当時の雰囲気を、早くも忘れかけています。
感染者への異状なまでの中傷、「自粛警察」、マスクを洗って使ってこと…。
当時の自分の振る舞いを思い起こすと、どうであったか。
感染の不安と、社会活動の停滞の中で、
とにかく自分にかかる被害を少なくしよう、
少しでも有利になるようにしよう、
ということが、行動の基準でした。
結局は「自分はうまく世の中を渡っていこう」という思いが行動原理で、
自分で判断しているようで流されていたのです。
「時代の空気」の「正体」は、とらえ難いのですが、
問題は、何が自分の判断のよりどころなのか、ということでしょう。
【流転】(るてん)とは、人間の迷いの有り様です。
他人と争い、従属させ、主体性を失い…と、
グルグル回る有り様を言います。
流されずに生きていくことなど、できそうもありませんが、
流されている、と、どこまでも、自分の有り様を指摘し続けるのが仏教の教えなのかと思います。