2024年09月30日
「あの頃」に、置いてきたこと
「あの頃」に、置いてきたこと
同窓会
先日、中学校の学年同窓会があり、
恩師をはじめ、級友だけでなくクラスの垣根を越えて久々の再会をしました。
なつかしいことがたくさんありましたが、
プログラムに「なつかしアニソン、イントロクイズ」というものがあって、
ピアノ奏者となった同窓生が、イントロを弾いてくれました。
幹事会で、この企画をしていた時に、話の続きで、
「我々世代のヒット曲を集めたサイトもある」
という話になりました。
「〇〇歳代 懐かし ヒット曲」などと検索すると、
そんなサイトがいくつもあって、
聴いている人は結構いました。
「ああ、そういうことで懐かしむ年齢になったなあ」
という結論になりました。
かく言う私も、連れ合いの持っているそんなCDを(これも懐かしい部類に入るのかもしれませんが)、
車で長距離を移動する時に、借りて聴いています。
当時はもう少し先のこと
聴いていて、いつも考えることがあります。
曲が流行った当時、中学・高校生だった自分のことですが、
歌詞にある内容は、自分にはもう少し先のことと思っていました。
いわゆる「大人の世界に近づく」内容で、
10代後半の内容もあるけれども、
まあ、20歳代には経験するであろう、と思える事柄でした。
それが、今、その曲を聴いて、懐かしいとは感じるのだけれども、
自分にはそういう時期はあったのだろうか、と思うのです。
曲のように格好の良いふるまいは自分には縁が無かった、
というところが事実なのでしょう。
ドラマチックなことも起こらず、
気が付いたら、この歳になっていた、というのが実感です。
けれども、格好よくなくとも、
自分なりに「大人になったなあ」という思い出があったかというと、
それらしいことが見当たりません。
泥臭くても、「成長の過程だった」という出来事も、
語る程のものはないのです。
忘れていることも多いので、それは仕方がないのですが、
果たして成長したのか、と、どこか自信なさげになってしまいます。
その年代で向き合わなくてはいけないこと
格好よくできたかどうか、はともかく、
その年齢、その時、でないと味わえないことがあり、
向き合わねばないらないことも、あります。
「10代で向き合わないといけないことを、何となくごまかしていると、
20代で同じことで悩む、
20代で向き合うべきことに向き合わないと、
やはり30代で同じ根っこの悩みに苦しむ」
ある、カウンセラーの言葉です。
言われてみれば、その通りだと感じることがいくつもあります。
例えば、仕事で何かに気を取られて、あるいは、不必要に気遣いをして
ミスをしてしまった、という場合。
子ども時代にも、同じような原因や状況でミスをしていたものだと、
苦々しく思い出されます。
自分の傾向はなかなか直らないものですが、
苦手なことをごまかしていたり、
波風たたぬように自分を抑えていたりすると、
やはり、どこかでそれが表れてくるものです。
向き合わねばならない、自分の何か、と向き合ってこなかったためです。
このままいくか
ごまかせるようで、ごまかせないのが自分です。
同窓会という、年齢を意識させられるイベントがあったからでしょうか、
「さて、自分は何をしてきたのか」とか、
「これからどんなスタイルでいこうか」などと、
妙に考えさせられるここ数日なのです。
「たれの人も後生の一大事を心にかけて」(『御文』)
とは、蓮如上人の言葉です。
「後生」は、「死後」のことですが、
当時の世界観により、「亡くなった後のこと」を語り出すことで、
亡くなる前にすべきことを意識させるものと、私は受け止めています。
また、蓮如上人の教えに触れた方が、
「わかきとき、仏法はたしなめ」(『蓮如上人御一代記聞書』)
と記しておられます。
若い時に縁の無さそうなイメージのある仏教ですが、
若いときにこそ仏法を聞くべく理由は、
「なぜなら、年をとれば、足が弱って教えを聞く場所に行くこともできなくなり、
大事な教えを聞いていても眠たくなってしまうからです」
(意訳参考『大谷大学HP』)
と語られています。
高齢で足が弱ることもありますが、
それよりも、
「まだまだ若い」という思いで過ごしているうちにこそ聞くべし、
という面もあるようです。
「まだ、向き合わなくてもいいだろう」と思っているあなたこそ、
向き合うべきことに向き合ってほしい、というメッセージを感じます。
今、引っかかっていること
「何かちがうような気がする」というような、
日頃、自分の中で引っかかっていることがあります。
きちんと向き合うべき事柄なのでしょう。
「あの頃」に自分の中で解決しておくべきことだったのかもしれません。
そんな形で出てきた「置いてきたこと」に、
向き合う時なのか、と思うこの頃です。
同窓会
先日、中学校の学年同窓会があり、
恩師をはじめ、級友だけでなくクラスの垣根を越えて久々の再会をしました。
なつかしいことがたくさんありましたが、
プログラムに「なつかしアニソン、イントロクイズ」というものがあって、
ピアノ奏者となった同窓生が、イントロを弾いてくれました。
幹事会で、この企画をしていた時に、話の続きで、
「我々世代のヒット曲を集めたサイトもある」
という話になりました。
「〇〇歳代 懐かし ヒット曲」などと検索すると、
そんなサイトがいくつもあって、
聴いている人は結構いました。
「ああ、そういうことで懐かしむ年齢になったなあ」
という結論になりました。
かく言う私も、連れ合いの持っているそんなCDを(これも懐かしい部類に入るのかもしれませんが)、
車で長距離を移動する時に、借りて聴いています。
当時はもう少し先のこと
聴いていて、いつも考えることがあります。
曲が流行った当時、中学・高校生だった自分のことですが、
歌詞にある内容は、自分にはもう少し先のことと思っていました。
いわゆる「大人の世界に近づく」内容で、
10代後半の内容もあるけれども、
まあ、20歳代には経験するであろう、と思える事柄でした。
それが、今、その曲を聴いて、懐かしいとは感じるのだけれども、
自分にはそういう時期はあったのだろうか、と思うのです。
曲のように格好の良いふるまいは自分には縁が無かった、
というところが事実なのでしょう。
ドラマチックなことも起こらず、
気が付いたら、この歳になっていた、というのが実感です。
けれども、格好よくなくとも、
自分なりに「大人になったなあ」という思い出があったかというと、
それらしいことが見当たりません。
泥臭くても、「成長の過程だった」という出来事も、
語る程のものはないのです。
忘れていることも多いので、それは仕方がないのですが、
果たして成長したのか、と、どこか自信なさげになってしまいます。
その年代で向き合わなくてはいけないこと
格好よくできたかどうか、はともかく、
その年齢、その時、でないと味わえないことがあり、
向き合わねばないらないことも、あります。
「10代で向き合わないといけないことを、何となくごまかしていると、
20代で同じことで悩む、
20代で向き合うべきことに向き合わないと、
やはり30代で同じ根っこの悩みに苦しむ」
ある、カウンセラーの言葉です。
言われてみれば、その通りだと感じることがいくつもあります。
例えば、仕事で何かに気を取られて、あるいは、不必要に気遣いをして
ミスをしてしまった、という場合。
子ども時代にも、同じような原因や状況でミスをしていたものだと、
苦々しく思い出されます。
自分の傾向はなかなか直らないものですが、
苦手なことをごまかしていたり、
波風たたぬように自分を抑えていたりすると、
やはり、どこかでそれが表れてくるものです。
向き合わねばならない、自分の何か、と向き合ってこなかったためです。
このままいくか
ごまかせるようで、ごまかせないのが自分です。
同窓会という、年齢を意識させられるイベントがあったからでしょうか、
「さて、自分は何をしてきたのか」とか、
「これからどんなスタイルでいこうか」などと、
妙に考えさせられるここ数日なのです。
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とは、蓮如上人の言葉です。
「後生」は、「死後」のことですが、
当時の世界観により、「亡くなった後のこと」を語り出すことで、
亡くなる前にすべきことを意識させるものと、私は受け止めています。
また、蓮如上人の教えに触れた方が、
「わかきとき、仏法はたしなめ」(『蓮如上人御一代記聞書』)
と記しておられます。
若い時に縁の無さそうなイメージのある仏教ですが、
若いときにこそ仏法を聞くべく理由は、
「なぜなら、年をとれば、足が弱って教えを聞く場所に行くこともできなくなり、
大事な教えを聞いていても眠たくなってしまうからです」
(意訳参考『大谷大学HP』)
と語られています。
高齢で足が弱ることもありますが、
それよりも、
「まだまだ若い」という思いで過ごしているうちにこそ聞くべし、
という面もあるようです。
「まだ、向き合わなくてもいいだろう」と思っているあなたこそ、
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Posted by 明行寺住職 at 08:46│Comments(0)
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