2024年07月31日

初めて経験する毎日

初めて経験する毎日

アサガオが懐かしい
鉢植えのアサガオ。
毎年育てているのは、様々な花の模様が楽しみだからですが、
どこか子ども時代に帰ったような気持ちになれるからでもあります。

小学1年生の時、一人ずつ鉢を用意してもらって育てた感激は、初めて経験する毎日

長い時間を経ても思った以上に残っているものです。
芽が出て、双葉が開いて、本葉を付けて、ツルが伸びて…と、
花の咲いた後も、種が実るまで、ワクワクしたものでした。

今の自分は、当時のワクワク感を思い出して、
それが、懐かしい気持ちになるのでしょう。

何となく知っている、ような気がしてしまう
何時の頃からか、「初めて知った」「驚いた」「感激した」、
ということが、ほとんど無くなりました。
人生経験ということなのでしょうか。
あるいは、情報化ということの方が大きいのでしょうか。
なんでもわかってしまう、ような感覚があります。

いつも初めて
本当はそんなハズはないのですが、
「同じような日々」「だいたい見当がつく」というのが現在の毎日。
トラブルが無く過ごしているから、だとすれば、
その点ではさいわいなことです。

それゆえに、目に映るものごとを、当たり前としてしまっている。
見えなくなっていることがたくさんあるのでしょう。

「万劫の初事」という言葉があります。
万であり、劫である、長い長い自分の背景があって、
やっと初めて起こる事が、毎日の出来事です。

むしろ、これからか
さて、「懐かしい」と言えば、
先日、中学校の同窓会の打ち合わせがありました。
「初めて」というのか、「そろそろ始まったもの」がありました。
以前ほど飲めなくなった、身体に痛いところがある、など、
そんなことが話題になる齢になったと、
仲間と会って実感です。

それは、アサガオを見るように、ワクワクするものではないのかもしれませんが、
「今まで分からなかったこと」「初めて経験すること」がたくさん待っているのではないでしょうか。

ちょっと予習も必要なのかもしれませんが、
その辺りが、恩師にも出席いただく大きな意義かもしれません。


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Posted by 明行寺住職 at 09:17│Comments(0)法話
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