2010年03月31日

介護保険 満10年の日

介護保険 満10年の日写真の梅の花は、3月30日。雪が積もった朝です。


介護保険 満10年の日

4月1日は、介護保険制度が始まって丸10年になる日です。

10年前、この発足の日が近づく中社会一般に制度がよく理解されていないことが心配されていて、
「4月1日は、全国の役所の窓口が大混乱になるだろう」と言った人もいました。
けれども、そんなことは全くおこりませんでした。
土曜日だったからです。
言った人も準備に追われて曜日まで確かめてはいられなかったのか、
エイプリールフールだったのか、わかりませんが、翌々日の月曜日もたいした混乱はなく、始まった
のでした。

それはさておき、10年経って、「介護」ということが、日常生活の中でふつうに語られるようにな

りました。
私自身40代になって、最近、自分の親と子どもの、その間にいる年代の自分を意識しますが、
現在進行中の子育てと、いずれあるだろう介護の両方に、通じるものがあると思うのです。
それは、どちらにも、自分の中の「思い」が映し出される、ということです。
私の中の「もっと早く」「もっと仕事ができて」「もっと頼りがいのある人間で」…、
そんな価値観が、私の行動だけでなく、他人の受け止め方にも大きく影響します。
最もそれを押し付けやすいのが、子ども。
私の「思い」どおりに行動してくれないと、ついつい、いらだったりします。
でもそれは、自分の価値観を子どもが鏡のように映し出していることでもあるのです。

高齢の方に対してだって、そうですね。
駅のエスカレーターでつかえていたり、ATMの前で時間がかかっている高齢の方にイラだったり、
そんなときも、自分の中の価値観を年配の方が映し出しているのです。

それはいつか、自分に返ってくることなのでしょう。
「若いときのお年寄りの方との付き合いかたが、
自分が老いたとき、自分との付き合い方に、そのまま現れ出る」
と、ある先生がおっしゃっていました。
 
「人一倍、仕事をする」ことに意味を感じている人は、
人より仕事ができなくなってきたときに落ち込みやすいでしょう。
「人のために役立つ自分」であることを自慢してきた人は、
手助けを借りるようになったとき、生きる意味が見出しにくいかもしれません。

子ども、高齢の方、ともに付き合う上で、大切だと思うのは、「待つ」ということでしょうか。
スピード感が当たり前になりつつある現在、だんだんと難しくなってきたことかもしれません。
「待」の文字の成り立ちは、「どこかへ行く途中で、立ち止まる」ということなのだそうです。
「待つこと」は、相手に対してだけでなく、自分が生きていく上でも、立ち止まるとき、として、
求められていることと感じます。






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Posted by 明行寺住職 at 17:02│Comments(0)法話
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