2023年09月30日

夕方を失う


夕方を失う

夕刊が終える

信濃毎日新聞の夕刊が9月30日付をもって休刊となりました。
生活リズムの一つ無くなってしまい、さびしいです。
我が家に夕刊が届くのは4時頃。
郵便受けに取りに行くのが一つの区切り。
仕事の目途にしていたりしました。

この数年は、最新ニュースよりも特集や出来事の詳細が主で、夕方を失う
僕もまた、見出しと明日の天気を見て、
開いたページは夕食後に読んでいましたから、
夕方の最新情報ではなくなっていました。

「よどんだ」の時間
かつて夕刊をゆっくり読むことに憧れていたことがありました。
大学生になって時間にゆとりができたら、
アパートで夕方のんびりと夕刊が読めると思って、楽しみにして取り始めました。
とは言っても、朝は遅くまで寝ていたり、夕方はサークル活動で学校に遅くまで居たりで、
朝刊すら落ち着いて読まずに出かけ、帰ってくると読みかけの朝刊を読むのがやっとで、
夕刊まで読む気力が失せていました。
そのうち、学校の図書館で新聞を読むようになりました。
夕刊がイヤになったわけではなく、
夕方のちょっと「よどんだ」ひと時が僕の生活リズムから無くなりかけていたのでした。
大体、学生生活が「よどんだ」時間のようなものでしたから。

就職してからはまた事情が違っていました。
夕方、出先から戻ると、不在中に届いた案件の対応に追われて、
職場がもっとも喧噪に包まれる時間帯でした。
そのまま夜になることは、一時のよどみがないためか、
「もう少し早く思いついたらよかったのに」というようなことが、
退社時になってから頭に浮かぶようなことがよくありました。

夕事勤行
寺に入って、夕方を、忘れていたものを思い出したような感覚で迎えました。
夕事勤行、という読経…正確にはお経(お釈迦様の言葉)でなく、
親鸞聖人の言葉の唱和があります。
朝と夕に勤めるのですが、「夕」は夕食前のことが多いので、
これを勤めることで、「夕方」という時間が確保されます。
一日を想う時です。
それからまた、就寝まで時間があるのがいいのです。
寝る前にいろいろ思い出すと、どうも寝つきがよくないので、
その前に「かたをつけて」おきたいのです。

人生にも必要な夕方
人生もまた夕方があった方がいいようです。
先輩が言うにはですが、
亡くなる直前まで、ずっと同じように現役バリバリも、まあいいのだけれども、
やはり、振り返ったり、とまどいながらも、先を考えたりする、
そんな時間が必要とのこと。
古代インドの、人生のサイクルを説いた「四住期」にも、
林住期(現役引退後の第2の人生の初め頃に相当)があります。
現代では、仕事中心からちょっと距離を置くいて、人生を見直す時期のと言ってよいかと思います。

夕刊が休刊となり、さびしいのは、そんな、ちょっとした「よどみ」の必要なことを、
感じさせられているのだと思います。








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Posted by 明行寺住職 at 14:16│Comments(0)法話
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