2023年05月07日

参拝旅行 その2

参拝旅行 その2

4月21日は、本山にて慶讃法要に参拝。
朝8時半にホテルを出発、東本願寺に向かいました。
門の前から指定の座席まで、スタッフによるスムーズな誘導。
よりきれいになったトイレ。わかりやすい案内表示。
12年前の宗祖750回御遠忌の経験が活かされた運営ではないかと、
そんなことを思いながら開式を待ちました。参拝旅行 その2


堂内の全員での勤行。
寺へお参りして、一緒に声を出すということは、
真宗寺院では当たり前のことですが、
一般にはあまりないことで、
「感動した」との声が聞かれました。

僕と同年代くらいの講師さんによる法話。
子どもから投げかけられた言葉などを交えてのお話。
同年代ゆえに同じような経験をしているところなので、
大いに響くお話でした。

法要を終えて、境内や館内の販売や展示を見て、
お斎会場の大寝殿へ。
食事を、寺の広間でいただくことで、
その雰囲気が「お斎」にさせる、とあらためて実感しました。

バスの乗車まで時間がありましたので、
境内や本山周辺をゆっくり歩きながら、
時々、腰を下ろして、お堂を眺めていると、
様々なことを思い出しました。
小学校入学前に初めてお参りに来た時のこと、
僧籍を得る得度式、研修で泊まり込んだこと、学校卒業式後の補任式、
門徒さんとともに受けた研修…。
思えば本山は、多くの方と出会って過ごしたことの「思い出の器」でもあります。
そんな思い出が「教え」をたずねる縁になる、
「教えの器」といってもよいかと思います。
一方で、教団の抱える課題の「器」でもあります。

コロナ下で参拝旅行を企画して、参加者を募集しましたが、
「はたして法要を勤めることができるのだろうか」と心配にもなりました。
本山へお参りすることに、どんな意味があるのかなあ、とも、
あらためて考えずにはいられませんでした。
先に述べたように、さまざまなことが詰まった「器」であるところ、
そこへ一緒にお参りすること、自分の何かをたずねていくこと、
なのだろうなあ、と感じたことです。


そんなことを思いながら、21時すぎ、無事、長野に帰ってきました。

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Posted by 明行寺住職 at 09:36│Comments(0)法話
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