2022年10月31日
会うことの予習復習
会うことの予習復習
アポなし訪問
寺にお墓参りにみえる方にお会いして、懐かしくお話しする時間をいただきます。
アポイントをとってみえる訳ではないので、久々お会いする方などサプライズに近いものがあります。
また、僕の留守中におみえになり、あとで家族から、どんなご様子だったかを聞くこともあります。
「お会いしたかったなあ」と思うこともありますが、
対応した家族からお元気な様子だったと聞くこともまた、嬉しいものです。
(住職が対応すべきご相談の場合は、事前にご連絡くださいね)
さて、一般にはアポイント無しの訪問はこんにち珍しくなりました。
「空振り」だと、それに費やした往復の時間がもったいない、ということがまずあります。
そう何度も伺えるものではありません。
しかし、かつての人々は、空振りでも大切な時間を過ごしていたようです。
会えても会えなくても
「会えても、ものを考える。会えなくても考える。それが当時の人たちの『一日』だった」荒川洋治
(折々のことば №2536 10月24日『朝日新聞』)
「当時」とは、大正か昭和初めの頃のこと。
荒川氏の著書『芥川龍之介の外出』の一文ですが、
芥川氏の年譜をたどると「今日は誰それを訪ねたが不在だった」という記述があるそうです。
人を訪ねるとは、会っても会わなくても考える時間だったようです。
時代が変わっても人に会いに行くときには、道中いろいろ考えます。
行きは、どんな話をしようか、お願いを受けていただけるか、今日はどんな顔を…と。
帰り道は、ああそうだったのか、ありがたかった、しまった失礼した、そういう考えもあったか…と。
言うならば、お会いする前後は、予習・復習のようなもの。
「当時」の人は、会いに行く道中、時間がかかったでしょうから、
それを、じっくりやって、身につくことも多かったのではないでしょうか。
むしろ、実際に顔を合わせている時間以上に前後の時間の方が大切だったのかもしれません。
寺関係もオンラインの会議がありますが、すぐに自分のいつもの環境に戻ってしまうことで、
考えながら向かう・帰るという、予習復習が不足しがちになっていると、思いました。
会議でなくても、人と会ったとき、特にその後など、ちょっと「余韻」が残る時間は、やはり大切なのでしょう。
おのおの十余か国のさかいをこえて
「おのおの十余か国のさかいをこえて身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、
ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり」
『歎異抄』第2条
かつて、親鸞聖人が京都に戻られたのち、関東の門弟たちの間で異議が生じ動揺がありました。
聖人に事を質すため、門弟の有志は京都へ訪ねていったのでした。
先日、教わったことですが、
「身命をかえりみずして」とは、治安が悪くて危険だったということだけでなく、
「十余か国のさかいをこえて」という、「移動に伴う疫病の感染リスク」も意味しているとか。
なんだか、コロナみたいですが、今以上に命がけです。
何日もかかって聖人のもとを訪ねるということ。
同じく先日教わったお話では、おそらく、聖人の話を何度も反芻しながら、関東に戻られたであろう、と。
会うことの予習復習をしながらの道中だったことは、考えたことはありませんでした。
それは、聖人の伝えられたことを確かに受け止める過程でもあったと、
それゆえに、伝えられたことと異なることを嘆かざるを得ず、
『歎異抄』を著さずにはいられなかった、ということでした。
ゆとり
人とお会いする直前まで、仕事に向かっていて、気持ちがすぐに切り替わらない、
ということを、よくやってしまいます。
また、お会いしたあと、すぐに自分の用事に戻ってしまいます。
扉が閉まってから、後ろ姿を見送ることがなかなか、できていません。
無いわけではないのですが、気持ちにゆとりがないのです。
ちょっと準備と余韻を感じる時間を持ちたいものだと感じました。
11月は報恩講
親鸞聖人の祥月御命日の法要です。
門徒の先輩が聖人に出会った、あるいは、門徒同士の出会いで感じた余韻を、
形に表し、風習として残してこられたものが、
各地の報恩講の勤まり方なのではないでしょうか。
アポなし訪問
寺にお墓参りにみえる方にお会いして、懐かしくお話しする時間をいただきます。
アポイントをとってみえる訳ではないので、久々お会いする方などサプライズに近いものがあります。
また、僕の留守中におみえになり、あとで家族から、どんなご様子だったかを聞くこともあります。
「お会いしたかったなあ」と思うこともありますが、
対応した家族からお元気な様子だったと聞くこともまた、嬉しいものです。
(住職が対応すべきご相談の場合は、事前にご連絡くださいね)
さて、一般にはアポイント無しの訪問はこんにち珍しくなりました。
「空振り」だと、それに費やした往復の時間がもったいない、ということがまずあります。
そう何度も伺えるものではありません。
しかし、かつての人々は、空振りでも大切な時間を過ごしていたようです。
会えても会えなくても
「会えても、ものを考える。会えなくても考える。それが当時の人たちの『一日』だった」荒川洋治
(折々のことば №2536 10月24日『朝日新聞』)
「当時」とは、大正か昭和初めの頃のこと。
荒川氏の著書『芥川龍之介の外出』の一文ですが、
芥川氏の年譜をたどると「今日は誰それを訪ねたが不在だった」という記述があるそうです。
人を訪ねるとは、会っても会わなくても考える時間だったようです。
時代が変わっても人に会いに行くときには、道中いろいろ考えます。
行きは、どんな話をしようか、お願いを受けていただけるか、今日はどんな顔を…と。
帰り道は、ああそうだったのか、ありがたかった、しまった失礼した、そういう考えもあったか…と。
言うならば、お会いする前後は、予習・復習のようなもの。
「当時」の人は、会いに行く道中、時間がかかったでしょうから、
それを、じっくりやって、身につくことも多かったのではないでしょうか。
むしろ、実際に顔を合わせている時間以上に前後の時間の方が大切だったのかもしれません。
寺関係もオンラインの会議がありますが、すぐに自分のいつもの環境に戻ってしまうことで、
考えながら向かう・帰るという、予習復習が不足しがちになっていると、思いました。
会議でなくても、人と会ったとき、特にその後など、ちょっと「余韻」が残る時間は、やはり大切なのでしょう。
おのおの十余か国のさかいをこえて
「おのおの十余か国のさかいをこえて身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、
ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり」
『歎異抄』第2条
かつて、親鸞聖人が京都に戻られたのち、関東の門弟たちの間で異議が生じ動揺がありました。
聖人に事を質すため、門弟の有志は京都へ訪ねていったのでした。
先日、教わったことですが、
「身命をかえりみずして」とは、治安が悪くて危険だったということだけでなく、
「十余か国のさかいをこえて」という、「移動に伴う疫病の感染リスク」も意味しているとか。
なんだか、コロナみたいですが、今以上に命がけです。
何日もかかって聖人のもとを訪ねるということ。
同じく先日教わったお話では、おそらく、聖人の話を何度も反芻しながら、関東に戻られたであろう、と。
会うことの予習復習をしながらの道中だったことは、考えたことはありませんでした。
それは、聖人の伝えられたことを確かに受け止める過程でもあったと、
それゆえに、伝えられたことと異なることを嘆かざるを得ず、
『歎異抄』を著さずにはいられなかった、ということでした。
ゆとり
人とお会いする直前まで、仕事に向かっていて、気持ちがすぐに切り替わらない、
ということを、よくやってしまいます。
また、お会いしたあと、すぐに自分の用事に戻ってしまいます。
扉が閉まってから、後ろ姿を見送ることがなかなか、できていません。
無いわけではないのですが、気持ちにゆとりがないのです。
ちょっと準備と余韻を感じる時間を持ちたいものだと感じました。
11月は報恩講
親鸞聖人の祥月御命日の法要です。
門徒の先輩が聖人に出会った、あるいは、門徒同士の出会いで感じた余韻を、
形に表し、風習として残してこられたものが、
各地の報恩講の勤まり方なのではないでしょうか。
Posted by 明行寺住職 at 19:59│Comments(0)
│法話
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。