2021年11月30日

億劫な季節

億劫な季節
 
気が進まない 億劫な季節

急に冷え込んできて、朝、布団から出るのが億劫(おっくう)な季節になりました。
また、年末に向けて、いろいろやらねばならない用事があるのですが、
普段やりつけないことをするのも億劫なものです。

億劫(おっくう)は気が進まない、乗らない、その気にならない、ということですが、
元は仏教用語です。

  【億劫】きわめて長い、ほとんど無限の時間をいう。<百千万億劫>の略で、
      <劫>自体がすでに長い時間を表わす言葉であるが、その百千万億倍…   『仏教辞典』岩波書店
そこから転じて、
      あまりにも長くて耐えられないことから、わずらわしくて気が進まないさまを意味する一般語ともなった。(『同』)
…というものです。

やり始めたら「どうってことはない」のだけれど
 億劫ながら布団から出てしまえば、どうということはないのですが、
それまでがつらいところです。
同様に、やりつけないことも、始めてしまえば、そんなに大したことはないのですが、
立ち上がったり、手を付けたり、といったところに「ハードル」があります。
 あれこれ考えずに思い切って動いてしまえばよいのですが、なかなか、そうはなりません。

 慣れや習慣も影響が大きいように思います。
コロナ感染拡大以降、人とやりとりするのが、ちょっと億劫になってしまいました。
慣れないオンライン会議など、新しいやり方の戸惑いもありましたが、
これまでやってきたことも、しばらくやらないでいると、大変に思えてしまいます。

電話を掛けることなどもそうですね。
前の職では、仕事柄、頻繁に電話を掛けていましたが、
あれで、電話を掛けることの抵抗感がだいぶ薄れました。
それが、コロナ拡大以降、一時は電話のみの対応も多かったのですが、
今は少なくなり、そうすると、電話を掛けることが、億劫に感じるようになってしまいました。
掛けてしまえば、どうということはないのですが…。

ちょっと気になるコメントが新聞に出ていました。
(コロナ感染状況が落ち着き)「急速に日常化が起きている。環境変化や交流の増加でトラブルが増えやすくなっている」
                                (教育評論家の尾木直樹氏 信濃毎日新聞 2021年11月26日)

愛知県の中学生の殺傷事件に対してです。
事件の動機はまだよくわかりませんが、社会全般にトラブルになりすい状況があるとのことです。
これまでなら、それほどストレスに感じなかったことも、
久々に経験すると負担に感じる、ということでしょうか。

思いが増幅
 何かをする前から、あれこれ考えてしまうところが億劫の原因のようです。
「手順が複雑そうで、思い出せるだろうか?」「相手がどう応えるだろうか?」
「もし、こじれたらどうしようか?」…。
自分の中の「思い」を増幅させて、それで腰が重くなってしまいます。

ある先輩が、こんなふうに言っていました。
  「たくさんの仕事を前に億劫に感じる。
   しかし、よく考えてみると実際にしている行為は目の前のたったひとつのこと以外にはない」
あれやこれやと浮かべる「思い」が億劫の正体のようです。

「思い」と「目の前のこと」
先入観や過去のイヤな記憶を先立たせてしまいがちですが、
それにとらわれずに目の前のことを始めたら、軽くなれそうです。
「思い」が出てきて億劫になったら、それは「思い」なのだと確かめてみるのも方法かと。
用事も人の関係も、そんなふうに対処したいものです。

複雑で苦しい事も、「思い」に抱えこまずに、時には救けを求める声を発信して、一つ一つ対していきたいものです。




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Posted by 明行寺住職 at 14:36│Comments(0)法話
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