2021年07月31日

遊んで とらわれ をはなれる

遊んで とらわれ をはなれる

遊びが起源
「スポーツの起源は遊びである」  「2020+1 思う」山極寿一氏(総合地球環境学研究所所長)『朝日新聞』2021年7月26日

様々な意見が出されながらも開会したオリンピックですが、
始まると、競技に関心が向かいます。
それならば、オリンピックもっと気軽に「楽しむ」方法で開催しては、と思います。
冒頭の山極氏の一言には、ああそうだったんだ、とホッとするものを感じます。遊んで とらわれ をはなれる


スポーツの語源は、ラテン語の「deportare」(デポルターレ)。
「ものを動かす」ということですが、転じて「気分転換」ということをも指すそうです。
これがスポーツの本来ならば、学校時代にずうっと授業でやってきたスポーツ(というより体育)は、
随分違うものだったと感じます。
 『東京オリンピック・パラリンピックガイド』(YAHOO JAPAN) 

気分転換が語源
5教科の合間に気分転換になった人もいるかもしれませんが、僕にとっては気の重い時間でした。
陸上競技や鉄棒やマット運動が得意でしたが、
どれだけ速く走っても、注目を浴びるのはその一瞬だけ。
鉄棒やマット運動はクラスマッチなど無いので注目される機会すらなく、
いずれもその「決まった姿」はクラスの友人にはすぐ忘れられてしまうものでした。
反面、球技はあまり上手でなく、これは、思春期の男子には結構つらいことでした。
そんな事情ゆえに、今更ながらスポーツの語源を聞いて、原点にもどって楽しめたらと当時を悔やみます。
近年の体育の授業は「身体を動かす楽しみを知ること」も含めて指導がなされているようで、
そのような内容だったなら、僕の体育の思い出はもう少し違っていたかもしれません。

遊びの大切さ
起源である「気分転換」をするなら、「遊び」によるのが一番でしょう。
山極さんはゴリラの研究をしていますが、
ゴリラの遊びは、お互い仲良しになるために大切なルールがあるようです。
追いかけ合ったり、数珠つなぎになって歩いたりと、時には1時間以上も遊び続けることもあるそうですが、
「体の大きい方が自分の力を抑制して小さい方に合わせ、互いに役割を交替する」といった特徴があるといいます。

そういえば、子どもの頃の「遊び」には、ハンデを認めた「みそっかす」とか、
似たようなルールがありました。
それによって、より「仲良し」になっていったのでした。

自分だけの「思い」では、お互いにやっていけないわけですが、
遊びを通して、どんな時にどうしたらよいのか、という智慧を学んでいた、と言えます。

そしてもう一つ、遊びがワクワクするのは、
次に何がおこるか分からないから、ということがあります。
「子どもにとっての「あそび」は、「人間のはからいを超えた行為」とおっしゃった方もおられます。
茨木別院HP

次の予定など考えずに無中になって動き回ることは、はからいを越えたものです。
大人にとっても同様ではないでしょうか。
このところはコロナで開催できませんが、
町内の運動会の競技など、やってみると結構面白い。
ハプニングもあって、久しぶりにワクワクした感じを味わえます。
段取りや予定を無視して行動することは、普段なかなかありませんから。
頭もスッキリするような気がします。

とらわれをはなれる
「遊戯」というと一般には「お遊戯」ですが、
もともとは仏教語。何ものにもとらわれず自由自在なこと、を言います。
真宗会館 言の葉 
体を動かして遊んだら、固くなった心身が少しはほぐれそうです。


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Posted by 明行寺住職 at 09:39│Comments(0)法話
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