2020年08月31日
時間を経て変化する「言葉の伝えるもの」
時間を経て変化する「言葉の伝えるもの」
今年のお盆は、やはり例年とは違って、
他府県にお住まいの方のお参りがとても少なかったです。
コロナ感染を心配して、というより、
世間の目をおそれて、という方が当たっているでしょうか。
感染予防のため止むを得ないことでありながらも、
「人とどう見るか、受け止めるか」という心の持ち方において、
「相手を信用する」「歓迎する」ことよりも、
「相手を疑う」「警戒する」ことが、
ここへきて強まってしまったようです。
さて、人が移動すると、ウイルスも同時に入ってくることは、
遠い昔からのことですが、
仏教に関連した出来事もあります。
諸説はありますが、「ほとけ」という言葉そのものが、
感染拡大に由来します。
善光寺の阿弥陀如来が伝来した時、
多くの人が熱病に苦しめられました。
海の向こうとの交流にともない、感染症も入ってきたのかもしれません。
物部守屋はそれを「外国の神を祀るからだ」といって、
難波の海に捨ててしまいましたが、
その「神」の名前を知らないので、
熱病という意味の「ほとおりけ」と呼びました。
「この神のせいで熱病が広まったのだ」という思いで付けたのでしょう。
それが「ほとけ」になったという説があります。
こんにち「ほとけさま」と聞くと、
その音の響きに安心感すら覚えますが、
もとは「熱病」とは、まさか?という感じで、
すぐにイメージが結び付かないものです。
そんなマイナスの感情で名付けられた「ほとけ」ですが、
後の仏教の広まりは物部守屋には想像できなかったことでしょう。
「ほとけ」の呼び方に込めた感情も、
それとは真逆に、いつしか、安らぎの感情を持つ響きに変わっていたのです。
親鸞聖人は、このいきさつを踏まえ、
「ほとけ」という呼び方は仏教徒としての呼び方ではない、ということで、
「ほとけ」とは呼ばす、「ぶつ」と呼んだのです。
現在は、このことを踏まえつつも、
「ほとけ」の呼び方・読み方を否定しませんが、
一つの説として、このいきさつは覚えておく必要があると思います。
※他に「ほどける(解ける)」がもとになったという説など、いくつかありますが確定できません。
それにしても、「熱病」の意味をもつ言葉が、
よく広まり受け入れられたものだと、不思議に思います。
仏教そのものが熱病の広がりの原因ではないと認識されたからでしょうか。
あるいは、時間の経過とともに、「ほとおりけ」のもともとの意味が薄まったからでしょうか。
なんとも言えません。
さて、話は現代に戻りますが、
新型「コロナ」というウイルスの呼び名そのものも含めて、
「コロナ」に伴って出てきた、
人を隔てるような言葉も、
いつしか、意味が転化するのでしょうか。
それまでに、どんなことを経験していくのでしょうか。
未来の方から今を見る視点を意識すると、
いろいろなことが想像されます。
参考 『仏教辞典』岩波書店。
『NEWS LETTER 尋源舎』第13号 NPO法人尋源舎
今年のお盆は、やはり例年とは違って、
他府県にお住まいの方のお参りがとても少なかったです。
コロナ感染を心配して、というより、
世間の目をおそれて、という方が当たっているでしょうか。
感染予防のため止むを得ないことでありながらも、
「人とどう見るか、受け止めるか」という心の持ち方において、
「相手を信用する」「歓迎する」ことよりも、
「相手を疑う」「警戒する」ことが、
ここへきて強まってしまったようです。
さて、人が移動すると、ウイルスも同時に入ってくることは、
遠い昔からのことですが、
仏教に関連した出来事もあります。
諸説はありますが、「ほとけ」という言葉そのものが、
感染拡大に由来します。
善光寺の阿弥陀如来が伝来した時、
多くの人が熱病に苦しめられました。
海の向こうとの交流にともない、感染症も入ってきたのかもしれません。
物部守屋はそれを「外国の神を祀るからだ」といって、
難波の海に捨ててしまいましたが、
その「神」の名前を知らないので、
熱病という意味の「ほとおりけ」と呼びました。
「この神のせいで熱病が広まったのだ」という思いで付けたのでしょう。
それが「ほとけ」になったという説があります。
こんにち「ほとけさま」と聞くと、
その音の響きに安心感すら覚えますが、
もとは「熱病」とは、まさか?という感じで、
すぐにイメージが結び付かないものです。
そんなマイナスの感情で名付けられた「ほとけ」ですが、
後の仏教の広まりは物部守屋には想像できなかったことでしょう。
「ほとけ」の呼び方に込めた感情も、
それとは真逆に、いつしか、安らぎの感情を持つ響きに変わっていたのです。
親鸞聖人は、このいきさつを踏まえ、
「ほとけ」という呼び方は仏教徒としての呼び方ではない、ということで、
「ほとけ」とは呼ばす、「ぶつ」と呼んだのです。
現在は、このことを踏まえつつも、
「ほとけ」の呼び方・読み方を否定しませんが、
一つの説として、このいきさつは覚えておく必要があると思います。
※他に「ほどける(解ける)」がもとになったという説など、いくつかありますが確定できません。
それにしても、「熱病」の意味をもつ言葉が、
よく広まり受け入れられたものだと、不思議に思います。
仏教そのものが熱病の広がりの原因ではないと認識されたからでしょうか。
あるいは、時間の経過とともに、「ほとおりけ」のもともとの意味が薄まったからでしょうか。
なんとも言えません。
さて、話は現代に戻りますが、
新型「コロナ」というウイルスの呼び名そのものも含めて、
「コロナ」に伴って出てきた、
人を隔てるような言葉も、
いつしか、意味が転化するのでしょうか。
それまでに、どんなことを経験していくのでしょうか。
未来の方から今を見る視点を意識すると、
いろいろなことが想像されます。
参考 『仏教辞典』岩波書店。
『NEWS LETTER 尋源舎』第13号 NPO法人尋源舎
Posted by 明行寺住職 at 09:24│Comments(0)
│法話
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