2020年05月31日

あちら側の「悪人」

あちら側の「悪人」

「リングに上れば憎悪が向けられる。反撃を受け、のたうち回れば歓声が沸く。
リング外で観客に襲われたこともある。笑顔を浮かべた老婆にヘアピンで傷つけられた。
母親と同世代の女性に本気で怒るわけにいかず、すごすごと控え室に引き上げた」
                          「斜面」『信濃毎日新聞』5月29日あちら側の「悪人」


僕の世代なら懐かしいヒール(悪役)のプロレスラー、 アブドーラ・ザ・ブッチャーさんのエピソードです。
続けて「ヒールに存在意義を見つけ、役を演じ切って大成功を収めている」とありましたが、
文字通り身体を張っての演技は、その痛みたるや想像を絶します。

そんな悪役を演じる人ですが、役を離れると、役とは別の一個人。
当然ですがその姿は、まるで別人のように感じることがあります。

大学の学園祭に悪役商会の八名信夫さんが招かれ、そのトークを間近で見ましたが、
面白味もあるカッコいいおじさんでした。その後は「いいおじいちゃん」にもなりましたが、
「へえ~」と感心したものでした。

それにしても、演技とわかっていても悪役を演じる役者自身が憎まれてしまうのは、
どうしてでしょうか。
女子プロレスラーの木村花さんが、匿名の誹謗中傷により自死されましたが、
実際に会ったことの無い人をどうして攻撃するのか、不可解なところです。

ただ、私にも、「もしや“この思い”の延長上に起こすことなのか…」ということはあるのです。
ドラマを見ていても、実際の出来事であっても、
それに対する反応は、自分の立場に近い方を味方したものになります。
自分と同世代と異世代なら同世代の方をひいき目にみます。
男性と女性なら、男性側に同情します。
どうしても、自分にとっての「いい人」「わるい人」、「被害者」「加害者」、
という見方を抜け出せないのです。

上手くいかないことがあったり、面白くない感情を抱えていたりするとき、
その原因を自分とは違う立場・逆の立場の人へ押し付けたりすることで、
不満を解消しているわけです。

これは僕の想像ですが、
木村さんを攻撃した人にとって、一個人としての木村さんがどういう人であるかは関係なかったのではないでしょうか。
悪役を演じる人に、「はけ口」という役割を押し付けているのではないか、と感じました。
いわゆる演技としての悪役、ではなくて、
はけ口としての悪役を押し付けた、ということです。

そんな場面があちこちにあることがまた、切ないことです。
ここ数か月の、新型コロナウイルス感染症から影響をうける生活の中でも、
そんなことがしばしばあります。

僕自身も、他人の振る舞いがこれまで以上に気になって、
後で自分でも嫌になったりします。
一方で、移動の制限要請などにより、人と会えない日が続いたことで、
人とのつながり無しにはやっていけないことを感じていながらですから、
矛盾したものです。

つながり、「縁」の中で生かされながらも、
相手に「悪」の役割を押し付けていく。
それにも気づかない自分の有り様もまた親鸞聖人は「悪人」と自覚したわけです。

相手に「悪」の役割を押し付けていく様を、同じく『信濃毎日新聞』では、
別の日の論考で「『あちら側」に押しやる心根」として、述べていました。(5月17日)
続きはまた、日をあらためて書きたいと思います。




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Posted by 明行寺住職 at 16:24│Comments(0)法話
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