2018年11月30日

いのちが輝くとは 大阪万博2025

いのちが輝くとは 大阪万博2025

2025年の万博開催地が大阪に決まりました。
職業柄、そのテーマに関心が向きます。

「いのち輝く未来社会のデザイン」

新聞では「未来の医療 世界へ発信」との見出しで報道されていました。
          『信濃毎日新聞11月24日(土)夕刊』 以下本文も

 「関西には、京都大ips研究所(京都市)や
  理化学研究所生命機能科学研究センター(神戸市)などがある。
  さらに大阪市中心部の中之島に、ips細胞や人工知能(AI)を使った未来医療の国際拠点がいのちが輝くとは 大阪万博2025

  21年度にもオープンする」

…ということで、誰もが健康で長生き、ということを掲げて開催されるようです。

 詳しくは『2025日本万国博覧会基本構想案』大阪府知事 松井一郎 に、理念が示されています。

「いのち輝く」とは、私たちがどんな生き方をすることをいうのでしょうか。
いのちを、<生命>と書けば、医療や科学の視点から見たものになりますから、
「健康で長生き」ということかもしれません。

では、あらためて<いのち>と書くとどうでしょう。
生命・寿命ということだけではなくて、
生き方、生きとし生けるもの、いのちのつながり、授かるもの…と、
いのちが、自分のもの、自分のこと、というだけではなくて、
そこに「つながり」や「さずかること」という、<いのち>のありさま、も含めて感じられます。

「今、いのちがあなたを生きている」は、真宗大谷派の親鸞聖人750回御遠忌のテーマでしたが、
それに対して批評家の若松英輔さんは、

 「この文章は、<いのち>とは何かよりも、
  <いのち>がなければ私はいないということを意味しているわけです。
  すると、<いのち>とは、まず、人間がつくったものではなく
  人間が<いのち>によってつくられているということになってくるのではないでしょうか」
                       『教化研究』162号 真宗大谷派 教学研究所
と述べています。

再生医療をはじめ、医療・生命分野の研究では、
<いのち>を何とかしようと研究しているわけですが、
人間がつくったものではないという、
当たり前ですが、忘れがちなことに引き戻されます。

生まれたいと思って生まれてきたのではなく、
気がついたら、いのちをいただいていた、ことから始まります。
医療・生命分野の研究で分かった、生体のメカニズムなど、
自分の思いを超えて、精巧にできており、
とても、人間が作れるものではないものを授かっている、と感じます。

若松さんは続けて、こう述べます。

 「人間が<いのち>をつくったのであれば、
  いずれそれを知り得るだろう、
  しかし、人間をつくっているものが、もし<いのち>だとしたら、
  人間はその本質をきっと知ることはできない、ということです。
  (中略)
  だから、円がその本質だとすると、
  きっと私たちが知り得るのはその一部である弧なのだと思います」

万博において発信できることや、医療・生命分野の研究は、
「円」の一部の「弧」であることは言う間でもありません。
しかし近未来に「円」を知り得る可能性があるように錯覚してしまいそうなのが私たちでしょうか。

親鸞聖人の御遠忌法要では、テーマソングも作られました。
三番の歌詞に、

 「私を生かすはたらきに 目覚めたときから生きられる
  このかけがえのない私に いのちが今、かがやく」
    『今、いのちに目覚めるとき』作詞 茨田通俊 作曲 清澤久恵 東本願寺HP

<いのち>の方が、私を生かしてくださっていると、
気が付いて、初めて<いのち>が、かがやく、のでしょう。
また、そのような私は、かけがえのない私なのです。
「健康で長生き」であることよりも、
むしろ、生き方の「質」が問われているのです。

さて、万博のテーマには「サブテーマ」もあります。

 「多様で心身ともに健康な生き方 持続可能な社会・経済システム
  〇「人」(human lives)にフォーカス。
  〇個々人がポテンシャルを発揮できる生き方と、それを支える社会の在り方を議論。」
                                              誘致委員会事務局HP

特に「個々人がポテンシャルを発揮できる」に注目したいです。
ポテンシャルとは、潜在能力という意味ですが、
むしろ、「それを発揮できる生き方と、それを支える社会のあり方」こそ、
ビジョンが大きく発信され、もし、かけがえのない<いのち>のかがやきにつながるならば、
実現してもらいたいことなのです。


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Posted by 明行寺住職 at 17:52│Comments(0)法話
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