2017年06月30日

本当に満足すること 依存症社会から問われる

本当に満足すること 依存症社会から問われる

信濃毎日新聞が依存症問題を、
年明けから半年間にわたり取材・連載してきた、
「つながりなおす 依存症社会」のまとめが大きく掲載されました。本当に満足すること 依存症社会から問われる


取材班から、
「病の根っこに目を向ける」
「複数の目で気づき、支える」
「回復が見える社会に」
という、「三つの視点」が提案されました。

 この中の、「病の根っこに目を向ける」ということは、
生き方と大きく関わりますから、特に私が注目するところです。
 当事者の多くが、生い立ちや置かれている環境に起因する「いきづらさ」を
感じていることが分かってきました。
 
6月24日の記事も、そうした心の奥に関わることが書かれていました。
パチンコにのめりこんでしまった50代の男性の話でしたが、
診察を受け、「趣味に使うお金をつくるため、パチンコを繰り返していました」と言うと、
医師から「お金をつくるためではなく、本当はパチンコをしたかったんですよ」と、
心の奥をのぞくように言われた、のだそうです。

そう語る医師…久里浜医療センターのギャンブル依存症治療部門の責任者である、
河本泰信医師の話は次のとおりです。

「ギャンブル依存症の人は賭け事で金銭欲を満たしたいのではなく、
 達成感を得たい、現実逃避したいといった別の欲望がある。
 本当の欲望を別の手段で満たすことができれば、
 賭け事はやめられる」

当事者の男性にとって、パチンコは失った自信を取り戻す時間だった、
と、ありました。
河本医師から、趣味に打ち込むことを助言されます。

「本当の欲望を満たすことができれば、やめられる」
読んでいて、この言葉のところで、
考えさせられました。

記事中では、パチンコより何か夢中になれることとして、
この男性の場合は「趣味」を勧められますが、
本当に求めるものに出会えば満ち足りる、ということは、
依存症の人に限らず、人間誰にでも通じて言えることだと思います。

例えば、
安心できる居場所であったり、
自分のことをよく理解してくれる相手がいてくれることなどが、
そうなのでしょう。

ただ、何を求めているのか、自分でもよくわからないのが困ったことです。

「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき」親鸞聖人『高僧和讃』

究極的な言い方になってしまいますが、
「人間性を失わずにいてほしい」という願いに出会ってこそ、
空しさを越えていける、ということです。
それにつながる何か、が見つかるかどうか、なのだと思います。



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Posted by 明行寺住職 at 19:15│Comments(0)法話
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