2013年12月31日
信じる とは 認めるということ
信じる とは 認めるということ
「人間は 自分が信じたいものを 信じる」
どなたが語られたのか、そんな言葉に出遇いました。
ちょうど最近、知人とお酒の健康への影響について語っていたこともあって、
思わず「う~ん」とうなってしまった言葉でした。
「この程度のお酒なら体に良い」「いや、そんなことはない」という取り止めもない話ですが、
どんなデータや解説に触れても、自分の思いが優先します。
「酒だけが悪いのではない」「自分の周りの者は平気にしているから」というような理由を挙げては、
なかなか、都合の悪いことは受け入れないものです。
さて、一年の始まりです。
私にとっての「時代」「現代」への思いを言えば、
社会の仕組みの変化が速く、それに対して不安を抱く人が多い(※1)
そして、その不安が様々な形で表われ出てきている、
…ということです。
※1「将来の生活について、期待と不安ではどちらの方が大きいですか」
期待の方が大きい 20代…15% 30代…14%
不安の方が大きい 20代…81% 30代…81% 世論調査「20代はいま」
『朝日新聞』2013年12月29日(日)朝刊より
「人間は 自分が信じたいものを 信じる」
どなたが語られたのか、そんな言葉に出遇いました。
ちょうど最近、知人とお酒の健康への影響について語っていたこともあって、
思わず「う~ん」とうなってしまった言葉でした。
「この程度のお酒なら体に良い」「いや、そんなことはない」という取り止めもない話ですが、
どんなデータや解説に触れても、自分の思いが優先します。
「酒だけが悪いのではない」「自分の周りの者は平気にしているから」というような理由を挙げては、
なかなか、都合の悪いことは受け入れないものです。
さて、一年の始まりです。
私にとっての「時代」「現代」への思いを言えば、
社会の仕組みの変化が速く、それに対して不安を抱く人が多い(※1)
そして、その不安が様々な形で表われ出てきている、
…ということです。
※1「将来の生活について、期待と不安ではどちらの方が大きいですか」
期待の方が大きい 20代…15% 30代…14%
不安の方が大きい 20代…81% 30代…81% 世論調査「20代はいま」
『朝日新聞』2013年12月29日(日)朝刊より
例えば、ある特定の人を非難する。
ヘイトスピーチやインターネットの掲示板の感じの悪い書き込みなどです。
批判することで自分の立ち位置を確かめているのではないでしょうか。
都合の悪い事実は、「無かったこと」と「信じて」、
勢いのよい人の主張に自分を近づけることで、不安をまぎらわしているともいえます。
また、「自己実現」「自己啓発」にこだわるのも、不安からでしょう。
向上心を持つことそれ自体は良いことですが、
こだわりすぎると、実現しなければ幸せではない、という思いが、
いつの間にか染みついてきます。
それらの本がコンビニに多くあるのが目に付きます。
最も身近で手軽に買えるところにあるのですから、
それだけ、常に心のどこかで意識しているのではないでしょうか。
努力が「報われない」と思う人の方が多いです。(※2)
※2「今の日本は、努力すれば報われる社会だと思いますか。報われない社会だと思いますか」
報われる社会だ 20代…32% 30代…37%
報われない社会だ 20代…60% 30代…54% 前出の『朝日新聞』世論調査
⇒回答者の所得や雇用形態も影響しているようです。
それでも「自己実現」「自己啓発」を説く本が店頭に並ぶのは、どういうことでしょうか。
「実現しないだろうが、何かせずにはいられない」という、
矛盾しているようですが切実な思いがある、ということではないかと、私は想像します。
東日本大震災の直後、「不安解消行動」という言葉を聞きました。
各地でペットボトルの飲料水や乾電池が店頭から姿を消したのですが、
少しでも不安を解消したいという思いが、そうした行動となったといいます。
先に述べた例…特定の人を非難、自己実現にこだわる…も、
いわば現代の世相に起因する「不安解消行動」といってもよいでしょう。
「何かしていれば、何とかなる」と信じる。
それを行うことで、一時は不安が紛れるのでしょうが、
本当の安心は得られないように思います。
それも、現実をわかっていながら思い込んでいるように感じます。
本当の安心とはなんでしょうか。
「安心」というと、一般には「ああ、よかった」という心になることをいいますが、
仏教ではこれを「あんじん」と読みます。
信心が定まったことを、「安心決定(あんじんけつじょう)」といいます。
信心とは、疑わしいものを無理して思い込むこととは違います。
親鸞聖人の場合、「明らかにわかっていることを<信>」(※3)といいます。
それは、明らかなこと、すなわち「事実」を受け止めていくことに他なりません。
※3 『「歎異抄」にきく 死・愛・信』武田定光 ぷねうま舎
受け止めることは、ときにしんどいことでもあります。
私たちには、認め難いものがたくさんあるからです。
でも、どこかで「本当は、ちがう」「本当は、どこかおかしい」と気づいています。
それを認めないと、「おかしな感覚」がおこり、
外側に向かえば、例えば、他者への攻撃となり、
内側に向かえば、例えば、いつも何かに追われる感覚になり、時には体の不調になります。
現実を認めないことには何も始まらないと、頭では十分にわかっていることなのですが。
仏教本来の信心とは、事実に目覚めることにつきる、といっていいでしょう。
本年もよろしくお願いします。
ヘイトスピーチやインターネットの掲示板の感じの悪い書き込みなどです。
批判することで自分の立ち位置を確かめているのではないでしょうか。
都合の悪い事実は、「無かったこと」と「信じて」、
勢いのよい人の主張に自分を近づけることで、不安をまぎらわしているともいえます。
また、「自己実現」「自己啓発」にこだわるのも、不安からでしょう。
向上心を持つことそれ自体は良いことですが、
こだわりすぎると、実現しなければ幸せではない、という思いが、
いつの間にか染みついてきます。
それらの本がコンビニに多くあるのが目に付きます。
最も身近で手軽に買えるところにあるのですから、
それだけ、常に心のどこかで意識しているのではないでしょうか。
努力が「報われない」と思う人の方が多いです。(※2)
※2「今の日本は、努力すれば報われる社会だと思いますか。報われない社会だと思いますか」
報われる社会だ 20代…32% 30代…37%
報われない社会だ 20代…60% 30代…54% 前出の『朝日新聞』世論調査
⇒回答者の所得や雇用形態も影響しているようです。
それでも「自己実現」「自己啓発」を説く本が店頭に並ぶのは、どういうことでしょうか。
「実現しないだろうが、何かせずにはいられない」という、
矛盾しているようですが切実な思いがある、ということではないかと、私は想像します。
東日本大震災の直後、「不安解消行動」という言葉を聞きました。
各地でペットボトルの飲料水や乾電池が店頭から姿を消したのですが、
少しでも不安を解消したいという思いが、そうした行動となったといいます。
先に述べた例…特定の人を非難、自己実現にこだわる…も、
いわば現代の世相に起因する「不安解消行動」といってもよいでしょう。
「何かしていれば、何とかなる」と信じる。
それを行うことで、一時は不安が紛れるのでしょうが、
本当の安心は得られないように思います。
それも、現実をわかっていながら思い込んでいるように感じます。
本当の安心とはなんでしょうか。
「安心」というと、一般には「ああ、よかった」という心になることをいいますが、
仏教ではこれを「あんじん」と読みます。
信心が定まったことを、「安心決定(あんじんけつじょう)」といいます。
信心とは、疑わしいものを無理して思い込むこととは違います。
親鸞聖人の場合、「明らかにわかっていることを<信>」(※3)といいます。
それは、明らかなこと、すなわち「事実」を受け止めていくことに他なりません。
※3 『「歎異抄」にきく 死・愛・信』武田定光 ぷねうま舎
受け止めることは、ときにしんどいことでもあります。
私たちには、認め難いものがたくさんあるからです。
でも、どこかで「本当は、ちがう」「本当は、どこかおかしい」と気づいています。
それを認めないと、「おかしな感覚」がおこり、
外側に向かえば、例えば、他者への攻撃となり、
内側に向かえば、例えば、いつも何かに追われる感覚になり、時には体の不調になります。
現実を認めないことには何も始まらないと、頭では十分にわかっていることなのですが。
仏教本来の信心とは、事実に目覚めることにつきる、といっていいでしょう。
本年もよろしくお願いします。
Posted by 明行寺住職 at 09:55│Comments(0)
│法話
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