2012年12月31日

伝統・文化・宗教心-伝えていくには-

伝統・文化・宗教心-伝えていくには-

かつて、正月を京都で過ごしたとき、白味噌のお雑煮を初めて味わいました。伝統・文化・宗教心-伝えていくには-
具は、丸く刻んだ雑煮大根とカシラ芋と金時人参。
聞いてはいましたが、「これがお雑煮か…」と、
食べなれた長野のものとは随分違うものだと思いました。

そんな話をしていたら、四国にいたことがある人からは小豆入りのもの、
鳥取の先輩からは海老が入ったものを聞かされました。
同じ日本でも、お雑煮と一くくりにしてしまうにはあまりに違いすぎます。
けれども、いずれも「お雑煮」と言われれば通じる不思議さがあります。

それは、お雑煮がまだまだ生活の中で生きているから、
具や味付けが大きく違っても、お雑煮として話が通じるのでしょう。
「文化と伝統」とは、こういうことなのではないかと思うのです。

もう一つ、「日本のお雑煮」という一つの決まった形があるわけではないということが、
文化について語るときに大切なことではないでしょうか。
お祭りでもそうでしょう。
しゃもじをもって踊る長野の「びんずる祭り」と、
コンチキチンとお囃子が聞こえる京都の祇園祭では大違いです。
同じことは、民謡や工芸、家のつくり…と、
それこそ衣・食・住全般にわたってみられます。
一つの「枠」に押し込むことのできないものが文化なのでしょう。
それぞれの地域、細かく言えば家ごとに違いがあります。
いきいきと生活の中にあるためには、
生活の中で伝えられている必要があります。
更に言えば、学校で教えようとすると、一つの「枠」の中に入れられやすい。
そうなると、「勉強」になってしまって、何だか面白くないものになってしまいます。

歴史社会学者の小熊英二氏は、それを「陳腐なものになってしまう」といいます。
    『私たちはいまどこにいるのか――小熊英二時評集』(毎日新聞社 2011年)
    (今回は、この『時評集』の中の「起源と歴史」の視点をもとに、私の思いを述べてみました)

学校で「さあ、これから『伝統』を学びましょう」と、やろうとすると、
どうしても典型的なものを扱うことになるわけです。

消えかかっている文化を残そうとするならば、
ゆるやかに、そっと手で包むようにした方がいいと思います。
「日本の伝統と文化」という一つの「かたち」があるわけではないのですから。

また、「かたち」が昔のものとは少しずつ変わっていってもいいと思うのです。
それぞれの地域ごとの変化の仕方があります。
現代風でも、各地域で大きく違う、
ケンミンショーを見るとよくわかりますね。
あれも伝統があってこその違いなのです。

近年、日本の文化や伝統的行事を伝えるということが言われますが、
声高に言うのはどうかと思うのです。
それは道徳や宗教心についても同じように感じます。

スローガンとまではいかなくても、
目標のように大きく掲げられると、
画一的になったり、活き活きしなくなってしまうのは宗教心も同じです。

たとえば同じ浄土真宗の行事でも、地域によって様相が違います。
親鸞聖人のご命日の法要である「報恩講」は、多くの寺では11月に勤めますが、
北海道では冬が厳しいですから、夏の終わりの9月頃が多いそうです。
また、その際のお斎も各地の特色があります。
長野では、けんちん汁が多いですが、北陸では根菜類に小豆を加えたイトコ煮が出てきます。

葬儀や法事の進め方も地域によって違う点が多々ありますが、
それは生活の中に活きている形が違うからです。
言い方を代えれば、形が違うということは、生活の中に生きているということです。

道徳心も同様でしょう。
きびしく叱るのが良いのか、優しく諭すのがよいのかは、
場面や相手、状況によって異なることですし、
その人なりの語り方であっていいはずです。

伝統・文化・宗教心…それ自体は大切なことですが、
声高に語られると、なんだか余計に遠ざかってしまいそうです。
それよりも、生活の中で生きていることに触れること、
そして、そっと包むことから始まるのではないでしょうか。






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Posted by 明行寺住職 at 09:44│Comments(0)法話
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